Endless Dream - from the aspect of FURIU - 1
アスカラナンが帝国を侵略して新国家を作り上げてから、丸三年。

辺境はそれと分かるほどに目立った影響も受けず、人々は帝都崩壊がまるで嘘のように落ち着いた生活を享受できた。それは硝化の森で狩りを続けるハンターにとっても同様で、精霊に関してはほとんど素人といっても構わない、新たなる支配者であるアスカラナンの商人たちを相手に取引することで彼らは生計を立てていた。それまで帝都で作られていた水晶檻は新都の近隣に生まれた町で特別に製造されているという。それらも辺境民にとってはさして重要なことではなく、ハンターは専門の業者が仕入れてくる水晶檻を買い、新たに無形精霊を捕らえたそれをまた業者の人間たちに売りつける。ただそれだけのことだった。

だが一つ、ハンター基地ではそれまでと大きく変わったところがある。無形精霊は帝都ほどに需要がなく、基地ごとに供給数がある程度定められることになったのだ。組合を抜け出せばそのような規定に縛られることはないが、同時に受け取ることのできる情報が限られてしまう。人が集まれば自然と決まり事が生まれ、従わなければ爪弾きにされる、これもまた必至ではあった。

硝化の森の近く。ミメントハンター基地もその例外ではなく、一年のうちに狩りに出かけられる期間がそれぞれのチームに割り当てられていた。そのことに関してマークス親子は初め、わけの分からない愚痴を零していたが、それもまったくの徒労だと分かったのだろう。共に狩りをするようになって半年ほどで、大人しく休止期間を過ごすようになった。もっとも、そう割の悪い商売ではない。特に支配層が取って代わってからは。休みを貰えて得られる報酬がさほど変わらないのなら、何を愚痴ることがあろう。

「やることがねぇんだな」

どうでもいいといった口調で、ラズがぼやく。実際彼にとってはあの親子が休止期間どれだけ暇を持て余して過ごそうが関係ないのだろう。ただトレーニング不足で次の狩りに支障が出ない程度には運動してくれとよくつぶやいていはいたが、その度にメイルは「お前と一緒にするな」と唾を散らすだけだった。

酒場の隅で一つのテーブルに座っていたラズと、地図を広げたサリオン。そして刺繍の続きを進めていたフリウは何とはなしに顔を上げて店の入り口を見た。そこではマデューと、他のチームで同世代のノエルがまた取っ組み合いの喧嘩を始めている。野次馬たちはとっくに二人を囲んで喧しく囃し立てていた。席に着いているハンターなどはほとんど見当たらないほどだ。カウンタから僅かに顔を覗かせたアマンダはほとほと愛想が尽きたといった顔でこちらにニ、三度首を振ってみせると、用事を装って奥へと引っ込んでいく。それでもそう遠くは行っていないはずだが。

「あーあ、どうにかならないのかな、あれ。マデューももうすぐマリオみたいに意味のない喧嘩はそれこそ意味がないんだって分かってもいいはずなのに!」

そちらを呆れ顔で見やったままフリウが嘆息すると、浮かせていた地図をテーブルの上に下ろしながらサリオンは苦笑いを漏らした。

「いや、マリオは女の子だしね。でもきっとマデューくらいの年頃の男の子だと、あれくらいが普通なんじゃないかな。今はまあ、休止期間だからどれだけ暴れられても構わないし」
「うわ、すっごい投げやり。サリオンも私たちくらいの時はああだったの?」

彼は苦笑を濃くして、かぶりを振ってみせる。

「いや、あれくらいの時にはもう辺境警衛兵をしていたから…あんな喧嘩は、さすがにしなかったかな」
「ほら。いい加減分かったっていい頃だと思うんだけど」

顔を顰めて言い返すと、ちょうど勝負がついたのか一斉に歓声があがるのを聞いてフリウは振り返った。ハンターたちが囲んでしまっているので状況はよく分からないが、どうやらノエルが勝ったらしい。マデューの口汚い悪態が聞こえてきた。

中の氷が溶けてすっかり水っぽくなってしまった紅茶を飲みながら、ラズが半眼で笑う。

「どうでもいいだろ。どうせあいつにゃ他にやることなんかねぇんだ。好きにさせとけばいい」
「そういうラズは何かあるわけ?さっきからずーっとそうやって暇そうにしてるけど。アイゼンを見習ってトレーニングでもしてくれば?」
「うむ、小娘。自分がたった今なすべきことを持っているからといって何でもかんでも問い質すその増長。俺にしてみればそんな豚の鼻みたいな縫い物は剛力招来風雲児が今まさに吐き出そうとせん毒よりも無意味に違いないであろうことをここに主張する」
「は!?ちょっと何それ、豚の鼻!?あんた私がどれだけ心を込めて縫ってるか一目見て分かんないわけ!?」

この数週間をかけて懸命に縫ってきたそれを思わずテーブルの上に叩き付け、フリウは何の前触れもなく頭の上に飛んできたその人精霊に人差し指を突きつけて怒鳴り散らした。この精霊の言葉など取るに足りないものだと分かってはいるものの、獅子を模したその刺繍を豚の鼻と呼ばれて黙っていられるほど大人ではない。スィリーは彼女が立ち上がって手を伸ばしても到底届かない程度の高さを保ちながら、その周囲にいまや十数体にまで膨れ上がっている   もっとも数自体はもっとたくさんいたはずなので、残りは店の外にでも浮遊しているのだろうが。精霊の居場所を考えたところでそれは詮無いことだ   その分身に言い聞かせるようにして言葉を続ける。

「むむ。小娘は命を賭して豚の鼻なんぞを掘り起こしているらしい。人間なんぞ甚だ不可解な生き物だ。我が家族、ここいらにいるのはみんなハンターと呼ばれる悪逆非道の奴隷商人だ。生きてく限りは家族として警告しておこう」
「だったら何でハンター基地なんかに居座ってるのよ!」

声を荒げ、ようやく自分が愚かしい行動に出ていることを自覚して椅子に座り直す。喧嘩は完全に幕引きとなったようで、ハンターたちはつまらなさそうにそれぞれの席に戻るところだった。勝ち誇ったノエルが店を出て行こうとしたところに、再びマデューが飛びかかってあっという間に乱闘が再開される。よほど暇なのか、馴染みのハンターたちはまたそれを間近で見物するために腰を上げる。

人精霊の他愛ない言葉の数々を適当に聞き流してフリウがまた刺繍を始めると、先程から地図ばかりを眺めているサリオンに気だるげにラズが訊いた。

「何やってんだ?面白いもんでもあったか」
「ん?ああ、いや   

言いながら、サリオンがラズにもよく見えるように真新しいその地図を傾けてみせる。フリウも手を休め、僅かに身を乗り出してそれを眺めた。

サリオンの指先が、ゆっくりと地図上の線をなぞっていく。

「さっきサイラスから借りた最新の地図でね。彼らは昨日狩りから戻ってきたばかりらしいんだけど」

確かめるように滑っていく彼の人差し指が止まったところを見ると、新たに人の手で書き加えられた太い線があった。

「どうやら地図にあるよりも、森が狭まってきてるんじゃないかって。どうも彼らの感触だから実際のところははっきりしないけれど」
「狭まってるのさ」

ラズはあっさりと言い放ち、虚を衝かれた様子のサリオンを見てニヤリと笑ってみせた。

「ハンターがそう言うなら、実際そうなんだろ。もう三年も経つってのに、お前もさっぱりハンター慣れしねぇな」

困った風に苦笑いし、サリオンはまた地図を覗き込んだ。そう気分を害さなかったのは、ラズが言うよりも実際のところは彼もハンターらしくなっているといえばそうなのだろうと、互いに分かっているからだ。森に入ればあの頃はまるで素人だった彼らも、それなりに精霊を狩る術、森を歩く方法。それらを身につけていた。三年も経てばそれが当たり前であり、さほど褒められたことではないが。

ラズは薄くなった紅茶をストローで掻き回す動作を止め   飽きてしまったのだろう   背凭れに体重を預けるとマデューたちの喧嘩をほんの一瞬横目で見てからあとを続けた。

「まああの時は、一気に硝化の森が増えすぎちまった。多少狭くなったって何でもないだろ。森がなくなっちまうってんならそれこそ問題だが、まさかそんなことは有り得ねぇだろうしな。精霊は、硝化の森にしかいねぇ」
「目の前にある現実をひたすらに無視するような発言には異議を唱える」

スィリーの言葉は当然無視して、ラズがサリオンの持つ地図を軽く指先で叩く。そうしてすぐにそこから手を離すと、大袈裟な身振りで顔を上げた。何かを言おうと口を開き、そして閉じるの動作を繰り返す。フリウはその時初めて、彼はこのために用事もないこの酒場に居座り続けていたのだと気付いた。

「あ、そうだ。お前らにちょっと話しておきたいことがあるんだ」

やっとのことでそう切り出した彼の笑顔は、贔屓目に見てもうまく作れたそれだとは思えなかった。


(06.09.20)