『 ヒ ト ゴ ロ シ 』
    ねえ、聞いてる?ねえ、サリオン」
「……え?あ……ご、ごめん」

ぼんやりと窓の外に向けていた視線を、慌てて真向かいの女の子に戻す。彼女はすっかり氷の溶けたミルクティーを不機嫌そうにストローで掻き混ぜながら、大仰にため息をついてみせた。

「ねえ……あたしの話って、そんなにつまらない?」
「え?いや、そういうわけじゃ……」
「ウソ。あなた、一度だってあたしの話、ちゃんと最後まで聞いてくれてたことないじゃない」

(だったら僕の話だって一度くらい聞いてくれたっていいだろう)
声には出さずに、独りごちる。

「ごめん。少し……寝不足なんだ。ここのところ忙しくて」
「年がら年中寝不足ってわけね。あたしの話も聞けないくらい」

(こういう時は普通、恋人なら気遣ってくれるものじゃないか?)

「ごめん……気をつけるよ。それで、何の話だったっけ?」
「もういいわよ。あたしといたってつまらないんでしょう」

(つまらないと思ってるのは君の方だろう)
彼女は残りのシュークリームを一口で頬張り、伝票を残してそのまま席を立った。ああ、分かってる。会計だけは押し付けて女の子っていうものは無慈悲に立ち去っていくのだ。こんなことには慣れている。

耳に残るのは、たった一言。あの時の、少女の言葉。
『人殺し』
僕は彼女の後ろ姿から早々に目を逸らし、再び喫茶店の窓から外に顔を向ける。その先に何が見えるというものでもなかったが。逃げるようにして、僕は見つめ返してくる何物もが存在しない、ただ無限に広がる青々とした大海原を見つめる。もしかしたら目には映らないだけで、とんでもない怪物が息を潜めて獲物を待っているかもしれない、そんな計り知れない領域を。
「やめて!お願い、それだけは    

声を嗄らして泣き叫ぶ女性に、警棒を握り締めた彼は激しく怒鳴りつけた。地鳴りのように響く破壊音、村から立ち昇る炎が憎いほどに澄み渡った青空を引き裂いて吠える。

「あなたには状況が分からないのか!この状況を食い止めるには    彼女を殺すしかない!」
「お願い、やめて    どうか、それだけは!あの子を殺さないで!お願い!」
「だったらどうやってあの精霊を止めるっていうんだ!」

空に伸び上がった精霊の影は、ここからは遠く離れたところでやはり咆哮をあげてすべてを焼き尽くしていた。掴んだ棒切れのあまりの無力さに脱力しながらも、自分に残された責務を果たすべく目の前に立ち塞がった一組のカップルを鋭く    今や射抜かんばかりに睨み付ける。声は嗄れ、乾き切った喉に唾を流し込もうにもその術を忘れている。それでも義務感だけで彼は声を張り上げた。

「周りを見てみろ!もう何人も死んでる!この状況をこのまま放置して、あなたたちはあの子の親として、その責任がとれるのか!」

はっと目を見開き、ハリスコー夫妻が互いに顔を見合わせてたじろぐ。その顔は泣き顔にも似ていたが、そんなことにはとても構っていられなかった。すべての村人が死ぬ    あのまま破壊が進めば、こんな小さなハンター基地などすぐにでも滅びてしまうだろう。それでも飽き足らず、精霊はこの世のすべてを破壊し尽くすまであの拳を解くまい。そんな不吉な確信を抱いた。

やがて、青ざめたハリスコー夫人の口が、諦めにも似た吐息を発してつぶやいた。
やった    あの子を、殺さずにすんだ!右手に残るいやな感触をごまかすことはできなかったが、それでも子供を死なせずに事を終えることができた。その安堵感だけで呼吸を取り戻しながら、サリオンは腕の中に抱き抱えたその少女を見下ろした。ここに来るまでに、数多くの死体をまたいできた。この子が殺したとはいわない。けれども確かにそれは、この少女の左目に眠るあの化け物が猛威を振るった結果だった。それはきっとこの先永遠に、ハリスコー一家の負い続ける罪の意識となるだろう。彼らはもう、決してこの村にはいられない。

(それでも……僕は、確かに誰も死なせずにすんだ)

呪詛のように、繰り返す。自身に言い聞かせるように。僕は最善を尽くした。これだけの殺戮を止められなかったのは、僕の責任ではない。僕は確かに、最大限の努力を尽くして最低限の犠牲に留めたのだ。

だが、重い身体を引きずるようにして村の外れに戻った彼は、そこにいるべき夫婦の姿を見失って愕然とした。まさか    まさか、そんな。
「……人殺し    人殺し!」
少女の叫んだその言葉だけが。延々と僕の胸の内に巡り巡って、また同じところへと戻る。
「その子を、わたしに引き取らせてはくれないか」

彼は警棒を    少女を殺すために振り上げ、そして殺し損なったその忌まわしい棒切れを握り締めたまま、得体の知れないその男にあの化け物を委ねた。そんなもので、こんなつまらない報告書一枚で、すべてを断ち切れるなどと期待していたわけではないが。
そう、すべてはあの日から始まり、何気ない僕の人生はひとつの終焉を迎えた
(photo) 07.11.21
原作ではフリウは一旦村長さんの許に預けられ、その後にベスポルトの手に渡ったことになっています。