永遠を約束された都、イシィカルリシア・ハイエンド。
その秩序を疑問視することはなかった。そんな馬鹿げた問いを発する余地などどこにもない。帝都は、不滅の都。誰が言い聞かせるでもなく、この街に生まれ落ちたその瞬間からそれは自明のことだった。
疑うことなど何もない。信じられるものがあったわけでもないが。
あの日までは。
完璧に整備された公園の一角で、彼女は背中の木にもたれかかって本を読んでいた。こうした穏やかな日には、外で静かに自分の時間を作るに限る。この都が喧騒に満たされることなどあり得ないが、それでもちょうど休みの日にこれほどの天候に恵まれることは稀だった。心地良い風が優しく髪を揺らし、少し離れたところでは母親に連れられた小さな子どもが無邪気にボール遊びをしている。
幼児のはしゃぎ声は、彼女にとって素敵なBGMだった。ここのところご無沙汰しているから、週末にでも甥の顔を見に行ってやろう。手土産はやはり新しい靴だろうか?あまり甘やかすなと兄はよく目くじらを立てて言うが。
唇を笑みの形に歪めながら、彼女はその親子から目を逸らして再び膝の上の本を読み始めた。
やがて。
引きつった奇妙な悲鳴が聞こえ、彼女は顔を上げた。心地良い陽気にはいつの間にか冷え冷えしたものが混じり、公園にひっそりした静寂をもたらしていた。視線を上げたその先で、先ほどの親子が震えながら固まっている。さらにその向こうには、微動だにしない黒い人影がたたずんでいた。
この国で知らぬ者はいない だろう、そのはずだ 漆黒のマントに不気味な仮面をつけた黒衣が、どうやら子どものボールを受けて歩みを止めたらしい。子どもが使っていた青いボールがその足元で転がっている。あの化け物に果たして足というものがついているのかは不明だが。
あり得ない光景ではあった。帝都の誇る、特殊暗殺部隊。黒衣が帝宮を出て都の中を定期探索として移動しているのはよくあることだった。だがあの怪物が、たかが子どものボールごときを避けられないはずがない。それとも敢えてそれを身に受けたのだろうか?帝都民に恐怖を植え付けるために。あり得ないことはないと自答しながらも、だがやはりそんなことはあるはずがないと胸中でつぶやいて彼女はひっそりと、黒衣と、その親子を見つめた。公園でくつろいでいた他の市民たちは、知らぬ振りをしてそんな光景に背を向けている。黒衣に関わるな。黒衣の気に障る行動をとるな。それは帝都で生きていくための、暗黙の教えだった。彼らは裁判を要さず、物音ひとつ立てずに相手を瞬殺する。
息を潜めてその様子を見守っていると、あろうことか黒衣は、まるで何事もなかったかのように歩みを再開した。石のように固まったまま動かない親子の脇を、滑るように通り抜けて立ち去っていく。黒衣が何もしなかった。あの黒衣が。
避けられるものなら、避けただろう。敢えてそれを食らったのだとしても、あの化け物がそれだけで痛みを覚えるはずもない。奴らに感覚などあるはずがない。黒衣が足を止めたのなら、そこには確固たる理由があるはずだ。
だが黒衣は、何もせずにそのまま去っていった。転がったボールを拾いもせずに立ち尽くす子どもに覆い縋って、母親が泣いている。彼女もまた度肝を抜かれ、黒衣が立ち去った後も、しばらく身動きひとつとれなかった。
ようやく振り向いて、黒衣が消えたはずの通りを信じられない思いで見つめる。黒衣が、何もせずに行ってしまった。その一睨みで 奴らに目があるかは定かではないが 軽く十人は殺してしまうだろうといわれる、帝都の最強部隊。無言の暗殺者。帝国に生まれた、異形の怪物。
けれども彼女は、黒衣のちょうど進路上にあったと思われる一輪の野花が、今もそこに変わらず揺れているのを見た。
今日だけは、口うるさいあの兄にも、優しくなれるような気がした。
Back